「自然遊び」の正解って?
保育者の方から「自然遊び」の方法を聞かれることがよくあります。でも、私はその方法はあまり知りません。
「こうやって遊ぶ」というものを子どもに提供した途端に、それは子どもの自発的な遊びではなくなってしまい、自ら考えて作り出す楽しさは体験できないと思うからです。
大人が提供した遊びは子どもにとって“遊び”としては現れておらず、”やらされている”になっていることもあります。
なので、私はあえて子どもたちに遊び方を伝えることはしていません。
でも、なかなか遊びが始まらない時もあります。そんな時こそ、保育者の腕の見せどころなのです。
雨上がりの公園でのエピソード
ある時、子どもたちのお散歩に同行して広い公園へ出かけました。雨上がりだったこともあり、固定遊具では遊ばずに、そこにある“自然”を使って遊びましょうということになりました。
その公園は初めていく場所で、子どもたちは何をしようかとウロウロとしている時間がしばらく続きました。
保育者が「子どもの発想に任せる」「子ども自発的な行動を待つ」という関わりをしようと思っている時ほど、この遊びが始まらない時間が長くなるように思います。
なかなか遊びが始まらない…
「子どもの自発性」だけでは、遊びのイメージが膨らまない時もあります。そんな時私は、子どもたちと一緒に「なにかおもしろいものはないかなー」と探しに行ったり、ただ目の前にある木の枝を拾ってみたり、並べてみたり…自分なりに遊んでみます。
それを見て、子どもの中にイメージが生まれることがあるからです。
遊びのきっかけ
その時は、ひとりの女の子が一本の長い木の枝を見つけてきたことから、“お家づくり”が始まりました。その枝を「おうちのゆかにするの」と地面に置いて、さらに短い枝を集め始めると“焚き火ごっこ”になり、今度は、最初に見つけた長い木の枝を地面に刺して立てたいというリクエスト。
一見硬そうな地面に、子どもと一緒にその枝を持って、ぐいっと地面に刺してみると、意外にも地面はふかふか。
「わ!地面柔らかいねー」と私が言うと、一緒に枝を持って刺していたその女の子も「ほんとだ!やわらかい!」と声を挙げ、それからは周りにいた子どもたちも面白がって、次々と地面に枝を刺し始めました。
後から来た子たちも加わり「ここは“いりぐち”ね」「ここは“ろうか”なの」などと、子どもたち一人ひとりがイメージを伝えながら、みんなで大きな家をつくることになりました。
遊びの発展
イメージが伝わると、「ピンポーン。あそびにきましたー」とお家ごっこが繰り広げられていきます。最初からいた子たちの描いているイメージが、後から来た子たちに伝わると、遊びはさらに広がります。
「なにつくってるの?これ、おっきいケーキみたい!きょじんのケーキだ!」
今度は後から来た子の一言で「これは巨人が食べるケーキかも!」
そんなイメージがみんなに伝わった瞬間、遊びが変わり「きゃーたべないでー」と逃げ始める子どもたちでした。
そして、あっという間に帰る時間になりました。
遊びが始まるのに時間がかかったので、子どもたちはまだまだ遊びたそうにしていました。
保育者から子どもへの提案
そこで「また来た時のために、枝を端っこに集めておこうか?!」という保育者の提案に、今度は枝運びが遊びに変わりました。たくさん集めた枝を、広場の端に持っていき、わっせわっせとみんなで往復しながら枝運びを楽しみ、全部運び終わって、保育者が枝を隠しておこうと落ち葉をふりかけ始めると、子どもたちも一緒に落ち葉を運び、その上に被せていました。
ある男の子は「つぎにきたときにわかるように、はっぱ、おとしておこうか?」と言いながら、ヘンゼルとグレーテルの小石のように、点々と落ち葉を落としながら、公園の出口へと歩いて行きました。
自然の中での遊びは、子どもたちのイメージで作り出されることが多くあります。
ファンタジーの世界にどっぷりと浸って遊び込むと、一人ひとりが違う発想を持っていても、それが融合され、いろいろな遊びへと形を変えていきます。
そのファンタジーの世界を保育者も一緒に体験すると、さらに子どもの興味や心の動きなどが伝わって来るものです。
遊びが始まらない時は、子どもたちのイメージを膨らませるきっかけづくりに、絵本の中のお話や保育者自身の幼少期の頃の遊びなどが役に立つかもしれません。
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