子どもたちの「できた!」はうれしいけれど

私たち大人は、子どもたちと関わるうえで「何かをできるようになること」を求めすぎてはいませんか?
靴を自分で履けるようになること、朝の準備を一人で出来るようになること、食具が使えるようになること、例をあげればきりがありませんが、子どもの成長を期待するあまり「できるようになること」が優先目標になってはいませんか?
大人にもある「調子の波」は、子どもにもある
ここで立ち止まって考えてもらいたいのは、人間は常に頑張り続けなければいけないのでしょうか? 私たち大人は自分の調子次第で時には休んだり困難な内容によっては後回しにしたり、誰かにお願いすることがあるのではないでしょうか?このようにして自己を管理しながら日々を送っているのだと思います。子どもたちも同様にその日の調子というものがあります。前日暑くて睡眠が十分にとれずに寝不足である、土日で遠方に出かけたことで疲れが残っている、お友達と喧嘩をして気分が落ち込んでいる等、ひとり一人抱えているものはさまざまです。
そんなとき、先生に「靴が履けないから手伝って!」、「ご飯を自分で食べられないから食べさせて!」、「お洋服脱げないから先生やって!」と伝えてみたものの「一人で出来るでしょ?頑張って」や「みんな自分で食べてるのよ、○○ちゃんも自分で食べなさい」と言われたら、子どもたちはどんな気持ちでしょう。
一度できたことは、簡単には失われない
一人で靴を履けなかった子が、日々の繰り返しの経験から靴を履けるようになったとき、ある日先生に手伝ってもらったからといって、靴が履けなくなるわけではありません。同様に、食具を使用できるスキルをもっている子が、風邪をひいて数日自宅で食べさせてもらったとしても、食具を使えなくなることはありません。このように、手伝ってもらったからといってそれが理由で「出来ていたことが出来なくなる」ということは身体的な疾患でない限り起きないのです。
助けを求められる経験が、次の挑戦への力になる

先生たちの願う「自主性」は、何かが出来る様になったら突然両手を放され、独り立ちを求められて育つものではありません。安心できる大人の近くでいつも見守られながら、自分でチャレンジするとき、助けを求めながら一緒にすすむとき、完全に大人を頼りエネルギーチャージをするとき、行きつ戻りつを繰り返しながら、成長、発達が前進していくのだと私は考えています。
子どもたちの手は突然両手を放すのではなく、片手ずつゆっくりとその子の成長に合わせて放しながら、手は放しても目は離さずにいつでも安心して大好きな大人を感じながら成長できることが自主性だと思っています。
井上さんからアドバイス
日々の保育の中で、先生たちの心の余裕がなければ先生たち同士も子どもにも優しく穏やかな心で関わることが出来ません。自分の機嫌は自分でとれるよう、日頃から自分の内面に向き合いながら気持ちのコップがいっぱいであふれないようにしたいですね。そのためにも、自分がリラックスできる“もの”や“こと”を使いながら自分自身にも優しくできるよう心がけるとよいですね。応援しています。
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