最近、私が拠点にしているスペースがあります。そこへ久しぶりに行くと、庭にシロツメクサが茂り、花が咲き終わった後のチューリップの茎が伸び、どこからかタネが飛んで来て咲いているヒナゲシの花や、誰かが植えた紫色の花があちこちに咲いていました。
自生している草花と人が植えたものとが混在して…、雑然とはしているけれど、まるで“イングリッシュガーデン”のような雰囲気になっていました。
その雑多な庭を見ていると、多様性の世界を表しているように感じました。混在していながらも、絶妙なバランスの取れた美しさがそこにはあります。
花壇などの区切られた場所でそれぞれがまとまって花を咲かせているのもきれいだけれど、混在しているからこそ、活きてくる色合いや華やぎがあります。その姿を見ているうちに、私たちもこの植物たちのように、多様な個性があって当たり前なのだとしみじみと感じました。
以前、子どもたちが外遊びをしていた時のことです。
こんもりとした茂みの中に空洞がありました。その中にもぐって、数人の子どもたちが出たり入ったりしながら、おままごとをして遊んでいました。
死角となっているので、ちょっと様子を見に行ってのぞいてみると…、なんと、その空洞の上の方にハチの巣があり、ハチが出たり入ったりしていました。
私は慌てて、子どもたちに「ハチの巣があるから、ハチさんに気づかれないように、そ〜っと出よう」と小さな声で促し、事なきを得ました。
その時の子どもたちの様子はというと…特に慌てたり怖がったりすることもなく、静かに淡々と茂みから出て来ました。
あの時のことを思い返すと、私のヒヤリとした感覚をよそに、不思議なくらい子どもたちがハチと共存していた姿が思い出されます。遊び始めてしばらく時間が経っていましたが、ハチも騒いでいた様子はなく、子どもたちも遊びに没頭していたので、あの空間自体にはなんの混乱もありませんでした。
この出来事を目にした時、子どもは“自然”にもっとも近い存在なのかもしれないと思いました。
そして私たちヒトは、自然の一部なのだと思っています。
多様な存在を受け入れてくれる大きな懐を持つ“自然”に包まれながら、子どもも大人も過ごす。そういう環境でこそ、一人一人の多様な個性が光ってくるのではないでしょうか。
“自然”の中でヒトが存在し、バランスを取っていくことが大切だと、私が拠点にしているスペースのあの雑多な庭を眺めながら想いを巡らせていました。
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