「自由にのびのびと育てること」は理想論なのか?

“森のようちえん”活動をしている野村直子さんによる、「子ども」と「自然」をテーマにした連載。今回は、保育の理想と現実とのギャップについてのお話です。

15年くらい前、私は

「子どもたちを自然の中で自由にのびのびと育てたい」

と、夢を語っていました。

でもその時、自分の親や友人たちに「それは理想論なのでは?」ということを言われました。

今考えると、まだまだ古い価値観の時代だったのかもしれません。子どもへの教育は、大人にとって都合の“良い子”を育てる…、そんな教育が主流だったように感じます。強いリーダーに従うような教育を受け、企業に就職し、企業が成長すると、従業員が物質的に豊かになっていく…そういう道筋ができているような時代でした。そのおかげで、経済も科学も発展して来たとも言えます。

その中で私は、

「子どもを自由にのびのびと育てることは、本当に理想論なのか」

と、いつも考えていました。

でもそれは、“理想”ではなくなって来ました。今や、「子ども主体の保育」を国が示すようになりました。急激に時代が変わり、価値観が変わって来ているのです。

では、その「自由にのびのびと育てること」や「子ども主体の保育」を実際にどう実践すれば良いのでしょうか。みなさんも試行錯誤中かもしれません。

以前、私が自然遊びのプログラムを行なっていた時のことです。

初めて参加した5歳児の男の子Tくん。スタートして真っ先に言ったことは、

「何をすればいいの?」

そのプログラムは、子どもたちが自然の中で、自分で遊びたい遊びをする…というものでしたので、私は「何をしてもいいよ」と答えました。

Tくんは「何ができるの?」と他の子を見回していました。そこで私は、「一緒にそこの土山を登ってみる?」と誘うと

「服が汚れるからできないよ」とTくん。

私は「大丈夫。ママに今日は汚れてもいい服で来てくださいってお願いしてあるから汚してもいいよ」と伝えました。するとTくんは、

「本当に?!じゃあ、こんなことしてもいいの??」と、

土山を登っていき、頂上から寝転がってゴロゴロゴロ…と転がり下り始めました。

「ほら!こんなに真っ黒になっちゃった!」

と、私に汚れた服を見せに来ました。私は、「そうだね」とただそう答えると、その時Tくんは、少し拍子抜けしたような顔をしたのです。多分、本当に汚しても怒られないかどうか、私を試したのでしょう。その後は、他の子が遊んでいることをやってみたり、自分が行ってみたい方へ行ってみたりと、服の汚れを気にせずに遊んでいました。

Tくんは普段、母親から服を汚したらダメと言われ、遊ぶ時も服に気を遣って遊んでいたということが伺えました。服の汚れを気にしなくなったTくんは、プログラムの常連になりました。そして毎回、ユニークな発想で他の子を巻き込みながら遊ぶ、リーダー的な存在になりました。


子どもが「自由であるとき」、その行動だけが自由なのではなく、心が自由に解き放たれている状態のことを指すのです。

このTくんも、服のことを気にする必要がなくなったことで、「やってはいけないこと」がなくなりました。その代わりに「やってみたいこと」が見え始めたようでした。

このように、子どもたちがのびのびし始めるのは、心が自由な状態になっている時なのです。心の自由をどれだけ保証することができるのかが、子ども主体の保育の肝になるのだと思います。
野村直子

この記事を書いた人

野村直子

「子ども」と「自然」をキーワードに国内外での保育と自然体験活動などの経験を重ね、 “森のようちえん”という自然保育の活動に関わる。小規模保育室園長を経て、現在は新しい視点で子育ての質を伝えて行くため『new education LittleTree』代表として研修事業をメインに活動中。
<ホームページ>
https://www.new-edulittletree.com/

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