ある時、子どもたちと一緒に山の中を散歩していると、小さな野いちごを見つけました。
子どもたちは「あ!あそこにある!」「ここにもあった〜!」と言いながら、その小さな野いちごを摘み始めました。ある子はたくさんの野いちごを袋に入れながら、次から次へと探し出し、摘むことを楽しんでいる様子。またある子は、野いちごをそのまま食べて「うま〜!」と言いながら、次から次へと頬張っていました。
すると、4歳になったばかりの男の子が、みんなから外れた場所で摘んだ野いちごを大切そうに持っている姿が見えました。
私が「おいしそうなの見つけた?」と声をかけると、少し隠すような仕草をしながら、嬉しそうに「うん」と答え、「そこにあったよ」と教えてくれました。
「どこかな?」と言いながら私が探し始めると…
「ぼくのあげようか?」と、小さな野いちごを1粒差し出しました。その子のもう一方の手の中を見ると、手のひらにはもう1粒。2粒摘んだ野いちごのうちの1粒を私に差し出してくれたのです。
2粒しかないのに分けてくれようとしたことに驚いた私は、「いいよ、いいよ」と慌てて断りました。
その子は、“そう?いいの?”というような表情で、その1粒を大切そうにまた自分の手のひらに戻しました。
その後、平らな場所を見つけると、おもむろに2粒の小さな野いちごを膝の上に置いて、1粒ずつ大切そうに、そしてとても嬉しそうに食べていました。

“分かち合い”がごく自然な行動として現れます。この時の子どもたちは、ただ“分かち合いたい”のです。そして、「これもあげるよ」「こっちもいいよ」と何とも嬉しそうにやり取りをしています。
小さな子どもが、自分が食べている物を、お母さんの口の中へ入れようとする姿をよく見かけますが、その時の子どもの気持ちもきっと、ただ分かち合いたいのでしょう。
この“分かち合う”という行動は、人間が本来持っている自然な行動なのではないでしょうか。
男の子が野いちごを分けてくれようとした時、私は「これしかないのに!」ということが真っ先に浮かびました。これはきっと、大人の感覚なのでしょう。
子どもにとっては、「たくさんあるから分けてあげよう」とか「これしかないからあげない」ということではなく、“ただ分かち合いたい”ということがあるのです。子どもの世界は、なんて豊かな世界なのでしょう。
しかし、競争の世界に子どもがいる時は別です。
競争のスイッチが入った途端に、友だちを押しのけて、我先にと前へ出ようとします。たくさんある折り紙を配る時に、なぜか競争し始める子どもたちの姿を見かけることがあります。これは、本来の子どもの姿ではないように感じています。
競争という土台の元に保育・教育をすることで、このような姿に育ててしまっているのかもしれません。
子どもの中にある豊かさを大切に保育・教育することで、その子どもたちが大人になった時、度々起きているトイレットペーパーなどの買い占めのようなことは起きないように思います。
子どもたちが豊かな世界を表現できる保育・教育を目指したいものです。

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