先日、2歳児の女の子が、自分の手を気にして何度も見ていました。
私が「どうしたの?痛いの?」と聞くと、
「バッタ、みず、でてきたの」と、まっすぐに私を見て言いました。
私は、「そっか、水が出てきたのね~潰れちゃったんだね。」と答えながら、その子の真剣な表情に感動しました。その子の中で、深く何かを感じていることが伝わって来たからです。
女の子にとって、まさにセンスオブワンダー…不思議だなと感じた体験だったのでしょう。
この時の出来事は、“いのちの体験”だったのです。
自然の中で過ごしていると、生と死の場面にたくさん出会います。そうした出来事から、子どもたちの中にさまざまな感覚と感情が生まれ、育まれていきます。
「強く持ったら死んでしまう」ということをいくら言って聞かせても、なかなか伝わらないもの。命の大切さを概念的に話すよりも、実体験からの学びに勝るものはありません。
今まで跳びはねていたバッタから水っぽいものが出てきて、動かなくなってしまう…このような体験から「死」とはどういうことなのか、を感覚的に認識していきます。
また別の園ではこんなことがありました。
3歳児の子どもが死んでいるカエルを見つけました。他の子どもたちも寄ってきて、そのカエルを棒でつついたり、足を摘んで持ち上げたりして、死んでいるカエルに興味津々。
すると、そのクラスの保育者が来て、「死んじゃってかわいそうだからお墓作って埋めようよ」と言い、保育者自身が一人で穴を掘って、そのカエルを埋めると…「これで大丈夫。さ、行こう!」と、子どもたちを促しました。
“死んでいるからお墓に入れる”という発想は、その保育者から出て来たものです。穴を掘ることもカエルを埋めるところも、全て保育者がやって、子どもたちは見ているだけでした。
後でその保育者になぜそうしたのか?を聞いてみると、
“死の体験のいい機会だと思ったから、お墓を作った”とのこと。
“子どもたちに、死んだらお墓を作るということを伝えられた”と、満足そうに話していました。
確かに、“死んだらお墓に入れる”という文化はあります。
でもこの時の行動には、“なぜお墓に入れるのか?”ということが抜けてしまっています。さらに、「お墓を作る」という発想が子どもたちの中からは出て来てたのではありませんでした。ただの行動としての、表面的なお墓作りでしかありません。
“こういう時はこうする”というような、一辺倒の行動を教えるのではなく、どんな気持ちがそうさせるのか、どうしたいのか、何を感じているのか…など、子どもたちの心の動きを観察し、気づかせるように導くことの方が大切です。
私たち大人は、どうしても自分が思い描いたように子どもを添わせようとしがちです。こうした生と死の出来事を通すことによって、子どもたち一人ひとりに複雑な気持ちや感覚、感情が芽生えてくるのです。
その結果、どのような反応・行動をするかは、子どもによってそれぞれです。
大人が期待するような結果にはならないかもしれません。
結果よりも、体験のプロセスが大切なのです。
こうした深い体験の機会を、私たち大人は見逃さないようにしたいものです。