ブラジルの“地の果て”、人口300人の漁村
青い海に青い空。私が今住んでいるのは、ブラジル北東部、赤道に程近いところにある小さな漁村です。
人口約300人という本当に小さな村。ブラジル人からも“地の果て”と言われるようなこの場所で、私は2000年に現地の人たちと一緒に保育園を作りました。
当時、私はまだ保育士としてもまだまだの20代前半。そんな私が日本を飛び出し、ブラジルに行ったのです。そして、ただ行っただけではなく、そこで保育園を作ってしまいました。
そもそもなぜ、私は自分と縁のなかった、ブラジルという国に行くことになったのか?
まずはそのことからお話ししたいと思います。
気になる子どもたち
私の小さなころからの夢。それは「幼稚園の先生」でした。物心ついた時からずっと、私は小さな子どもたちと関わっていきたい。そう思っていました。保育士になるために学校に通っていたとき、さまざまな場所に実習に行かせてもらう機会がありました。保育園はもちろん、幼稚園、児童養護施設、障碍者施設…中でも、保育園や幼稚園での実習は、私にとっていろいろと考えさせられる機会になりました。
それはなぜか?
どこの保育園や幼稚園で実習をさせてもらっても、必ずクラスに1人以上、疲れている子ども、眠っている子ども、活動に参加しない子どもなど、気になる子どもがいることに気が付いたからです。
私にとって保育園や幼稚園に通うような乳幼児は、元気で、エネルギッシュで、笑顔で遊ぶ、そんな姿を想像していました。しかし、そうではない子どもがいる。
「世界の子どもはどうなのだろうか?」
ふと、そんなことを考えた私は、学生の今だからこそ、世界の子どもの姿を見てみたいと強く感じ、それを実行に移すことにしました。
ブラジルの保育園での実習へ
どこに行こうか? そんなことを考えているときにたまたま、ブラジルの大学院に通っている知人と出会いました。彼女は、「それなら、ブラジルに来てみる?」と一言。
「はい!!」
働き始めたらブラジルなんて絶対に行く機会はないだろう。ならば今行くしかない!
そう思った私は二つ返事でブラジルに行くことに決めました。
彼女はブラジルの保育園で実習させてもらう機会を準備してくれ、私は2年生になる前の春休みに3週間ほどブラジルの保育園で実習させてもらうこととなったのでした。 ブラジルはポルトガル語。英語はどちらかと言えば得意であった私でしたが、現地では国際空港でも英語が通じない状況の中で保育園での実習をしなければなりません。
緊張と好奇心。
その二つが混ざり合った気持ちの中、私は初めてのブラジルでの3週間を過ごしたのでした。
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