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私たちに必要な保育とは何かを考える【みんなで作るカノア保育園・その5】

ヤシの木にそそぐ太陽の光
2000年、ブラジル北東部にある人口300人の小さな漁村“カノア・ケブラーダ”に保育園を作った鈴木真由美さんのストーリー。日本での保育実習を終え、カノア保育園に戻った鈴木さん。さまざまなヒントや収穫のある実習であった反面、カノア保育園に必要なこととしてそのまま落とし込むには違和感も感じていました。自問自答の日々が始まります。
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保育への迷いと自問自答

カノアの保育園に戻った私は、ふと「なぜ私は日本に戻り、さまざまな保育園や幼稚園で実習する必要があったのか?」という思いに駆られました。確かに、私自身保育の経験も短く、保育士としても駆け出しで未熟であったことが大きな理由でした。そして、パートナーであるエヴァさんの行っている保育に違和感を感じていてもなお、どうしたらよいのか分からなかったことから、自分自身の経験の足りなさを感じたのも事実です。

まずは私自身が学ばなければ、カノア保育園をどのような保育園にしていくべきなのかということが分からないのではないか? と、当時は強く感じていたのです。しかし日本からカノア保育園に戻ってみると、あることに気付きました。




カノア保育園に戻って感じたこと

村を探検し、村人と話をし、子どもを観察する。保育園を始めるきっかけになった母親たちと話をする。その中から「どのような子どもに育ってほしいのか?」という子ども像として、「自分の人生を自ら選択していくことができる力を身につけてほしい。」というイメージがありました。

そしてそれを実現するためにはまず何をすればいいのかを今一度立ち止まって考えてみることにしました。

「保育園として私たちにできることは何なのか?」

シンプルにそのことだけを考えることこそが、保育園を作るにあたって、最も必要なことだったのです。それは、目の前にいる子どもたちと過ごす中で、自ずと分かることでした。それならばなぜ、私は日本に行ったのでしょうか? 改めて問い直してみました。

確かにさまざまな保育園や幼稚園の実習で学んだことはたくさんあります。ヒントもたくさんもらいました。そして、運営していくための資金集めをすることもできました。日本に行ったこと自体は、無駄にはなっていません。でも、保育園を作るにあたって、教育思想や方法として「○○教育をしています!!」ということが、当時のカノア保育園にとって果たして必要だったのでしょうか? カノア保育園にとっては、それよりも大切なことがあるように思えたのです。

今思えば、2000年当時の私にとって、「どんな方法でも大丈夫ですよ!!」というその自由が、怖かったのでしょう。「○○教育をしています…」というものがあれば、だれも文句は言わないだろう。誰かが訪ねてきても、堂々と保育園について話すことができる。そんな風に考えてはいなかっただろうか? と。しかしそれは自己満足にすぎないのかもしれないのではないか? と。子どもたちと共に砂丘を上り、森を探検し、海で遊ぶ中で、そのことに気づかされたのでした。

手始めに取り組んだ観察日記

そして私がまず始めたこと。それは、1週間、1人の子どもを決め、その子どもの観察日記をつけることでした。他の子どもを見ないということではありませんが、決めたその1人の子どものことを、一挙手一投足まで観察し、それを事細かに記入していったのです。いつ、だれと、何をしていたのか。どんな話をしていたのか。その時の表情やまなざし、大人の関り方など。観察し始めると、私が思っていた以上に、子どもというものはさまざまな面を持っているのだということが分かります。実はこうしたことこそが、カノア保育園を始めるにあたって必要なことだったのです。


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