サンパウロのスラム街「ファヴェーラ」
3週間のブラジルの保育園での実習。それは、とても貴重な体験でした。私が実習をさせてもらった保育園は、ブラジルのサンパウロという大都市にある、「ファヴェーラ」と呼ばれるスラム街の中にありました。
ビルの立ち並ぶ街中の小高い丘。そこにはレンガで作られたバラック小屋のような家が所狭しと建てられていました。そんな中に私が実習させてもらう保育園があったのです。
エネルギー溢れる子どもたち
保育園に到着し門を開けると、ドアが開き、先生とたくさんの子どもが私を迎えに出てきてくれました。子どもたちは、初めて会う私の周りに集まり、好奇心いっぱいの目で見つめてきます。よく見ると、栄養失調だと想像できる子、鼻水を垂らしながら破れた洋服を着ている子もいました。
しかし、決してキレイとはいえない身なりをしているその子どもたちのからだから出てくるエネルギーに私は圧倒されてしまいました。
キラキラと輝く目。物質的には豊かとはいえないその場所で、その子どもたちは、私が想像していた“子ども像”そのものだったのです。
言葉も分からないまま過ごした3週間。ただ一緒に遊んだだけの日々。しかしそこには、私が忘れてしまった大切なものがある。そう強く感じた私は、保育士として、この場所で働いてみたいと強く願うようになりました。
しかし、そんな簡単に働ける訳もありません。「ボランティアでも良いから働かせてくれ」という想いで送った私の手紙への返事には、2つの条件が書いてありました。
- ポルトガル語の勉強をすること(修了証を提出のこと)
- 保育士として日本で最低2年の経験をすること
ブラジルの保育園が求めた役割
こうして私は、日本の保育園で2年務めた後、ブラジルの保育園に戻ったのでした。しかし現実は、私が想像していたものとは異なっていました。ブラジルの保育園を運営していた法人が私に求めていたのは、「保育士」としてではなく、「日本人」としての役割でした。
「保育士として、子どもの状況を知りたい」「その家族と話をしてみたい」。
たくさんやりたいことはありましたが、私に課せられたのは、日本の文化を伝えるということ。そのために大きな日本祭を開催もしました。
しかし気付けば、もうすぐ予定の1年は終わってしまう時期が近付いていました。
「本当にこのまま日本へ戻ってしまってよいのだろうか?」
そんな自問自答を繰り返していたとき、この保育園を運営している法人「モンチ・アズールコミュニティー協会」の創始者であるドイツ人教育者、ウテ・クレーマーさんからこんな助言をもらいました。
「ここでは、あなたの望んでいることはできない。同じブラジルでも違う場所に行ってみたらどうか?」 その違う場所こそが、私が今住んでいる、ブラジル・セアラ州にある、カノア・ケブラーダというところだったのです。
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