戦争の記憶なしで描いた作品
『あの日のオルガン~疎開保育園物語』執筆のきっかけはどのようなものでしたか?
出版社に勤めている友人に、「童話を書いてみれば?」と言われたのが私自身の執筆活動の始まりでした。原稿用紙45枚ほどの作品を投稿したら、「こどもの館」に載せていただけることになりました。ビックリしたことに、投稿したものが1冊の本になって、当時のご近所さんたちが出版記念会をしてくださいました。そこにジャーナリストの橋本進さんをお招きしたところ、”戦時中の疎開保育について映画をつくる。その原作を書きなさい”って。そういう人を探しているって。ええ、38年前です。
でもそれ、原稿用紙450枚って聞いて…私は45枚しか書いたことがないので、1冊書くのに3年もかかっちゃいました(笑)。
終戦当時は久保さんもまだ1歳半だったとか…。戦争の記憶がほぼない立場としてお話しを描くのは大変ではありませんでしたか?
すごく大変でしたよ。社会科とか歴史とか、苦手だし。何にも分からないんです。慌てて本を買って読んで、保母さんたちに会って。それでもなかなか日本の戦争がどういうことだったのか呑み込めない。焦れば焦るほど頭に入らない。それなのに仕事を引き受けちゃった。不勉強の報いですよね。苦しい仕事でした。2冊目の本ですものね。”歴史”ではなく、”人”を描いた作品
保母さんたちは、どのような方たちでしたか?
賢くて親切。ユーモラスなのよね、なんだか。心の中のパチパチ輝く火花がそれぞれ見えるみたいな…。私は『ふたりのロッテ』で有名なドイツの作家、エーリッヒ・ケストナーのファンなんですけど、世界大戦のあと、彼は大人にも子どもにも、繰り返してこう言いました。二度と戦争を始めない人間を育てようとしてね。
「良心を持っていること」「お手本になる人に会えること」「子どもだった時を忘れない」そして「大事なのはユーモア感覚」
今思えば、疎開保育園で働いた保母さんたちって、まさにこの4つの言葉の通り。金子みすゞさん風にいうなら「みんなちがってみんないい」。お話も自由自在、なんかこう、笑いたくなっちゃって、わかりやすいのよ。
原作を読ませていただきました。確かに保母さんたちはみんな、それぞれ個性が光っているのが文章の中から伝わってきました
疎開保育園の主任保母だった畑谷光代先生は、すごく怒りっぽかった。ご自分でもそうおっしゃるし、ほかの人たちもみんなそういう話をおかしがってするのよ。そんな「怒りっぽい」と言われる彼女がリーダーになった理由は?って、私はすごく注目しました。どんなにカンカンに怒っても、彼女には統率力があった。それってどういうことか、理由はと探し始めたんです。その他にも、取材をすればするほど福光先生はわがままだと。やはり自他ともにそういう人だったという話なんだけど(笑)。どうしてだかチャーミングで目が離せない。
生まれつき穏やかな雰囲気の福知先生は、芸術を保育に活かしていて。
とにかく百戦錬磨ですよね、疎開保育園の保母さんたちは。自分たちで焼け跡から保育園を立ち上げた人たちですものね。
いま思えばね、就学前の幼い子どもたちを相手に、可愛がって育てた職業でしょ。面白いことが大好きとか、笑わせようとか、ユーモア感覚が備わるはずですよね。
保母さんたちの人柄に注目して作品を描いたのですね
そうです。戦争そのものに注目しようにも、記憶に残っている経験がない。無理に書くと、私の文章力では読みにくい本ができちゃう。結局、疎開保育園を決行したのはどんな人達なのだろうと、個々人に注目して作り上げた作品です。映画で現状を知るきっかけに
『あの日のオルガン』映画化は、なぜ今のタイミングで行われたのだと思いますか?
70代、80代の戦争体験者の危機感が大変なものだから。またしても戦争になるのではないかという危機感です。戦争の悲惨さを知っている人はどんどん減っているけれど、高齢者の声はとても大きいと思います。映画の企画をした鳥居明夫さんは、こういう運動や声に敏感な方だからこそ映画化したいと私にお話しをくださったのだと思います。
思いがけないことに、李鳳宇プロデューサーと、そして女性監督の平松恵美子さんも一緒になり、とうとう映画化が実現した。それが『あの日のオルガン』ですよね。この結びつきが実現したのは、こういう時だからじゃないでしょうか。
原作をつくった者としては、映画を見た、本を読んだ、その感想をぜひ共有したいです。私は、私が若かった頃より社会全体で「話し合う」という機能が激減しているのが寂しいんです。感じたことを話し合えたらいいなあと思います。
戦争を忘れないでほしい
疎開先でもある現在の埼玉県蓮田市では、映画の上映運動も行われているのですね
蓮田の上映運動はすごいですよ。中心になっているのは戦争を私と同じように経験しなかった世代の保母さんたちです。戦後日本の「戦争を知らない」大人たちです。この運動の何が素晴らしいのか。それは、映画を通して自分たちの市町村の歴史を発掘しているところです。私たちは近代史をあまり学びません。
でも、自分たちのおじいさんやひいおじいさんの時代の歴史を学ぶことも、とても大切ではないでしょうか。日々追われる生活の中でも、戦争のつらい体験を自分で学ぼうとすること、継承していくことはとても重要です。
蓮田市では、「歩こう会」までするのよ。妙楽寺まで当時幼児が歩いた道をね。映画祭や楽しいこともいっぱい企画実行している中でね。
子どもたちにも、戦争を忘れないでいてほしいですね。
今回は、原作についてのお話しを伺いました。次回は元幼稚園園長の経験から、久保さんが感じている保育についてお話しを伺います。
>>【Vol.2】『あの日のオルガン』原作者・久保つぎこさんが経験から学んだ、子どもへの寄り添い方
>>【Vol.3】『あの日のオルガン』原作者・久保つぎこさんが考える保育者の役割とは?
2019年2月公開の映画『あの日のオルガン』(出演・戸田恵梨香、大原櫻子、夏川結衣、田中直樹、橋爪功、監督・平松恵美子)の原作本。
太平洋戦争末期、東京都品川区、京浜工業地帯のすぐそばにある戸越保育所では、日に日に空襲が激しくなり、園児たちは命の危険にさらされていた。
そんな中、まだ20代の若い保育士たちが、これまで例のなかった未就学児の集団疎開を決意する。
同じ東京の、愛育隣保館と合同で行われることになった集団疎開。国中が食糧難のなか、やっと見つかった受け入れ先は、埼玉県蓮田市の無人寺、妙楽寺だった。
ここで、保育士11人、園児53人の「疎開保育園」がはじまった。さみしがる子供たちのケア、深刻な食糧不足、東京大空襲で孤児になってしまった園児。やがて空襲は、疎開保育園のある埼玉にも頻繁にやってくるようになり、
「私たちのやっていることは、正しいのだろうか。戦争が、終わることはあるのだろうか……?」と、
若い保育士たちは、迷いを持ち始める。
これまで知られてこなかった「疎開保育園」という存在にスポットをあて、戦争が子供たちを巻き込んでいく様子を、関係者たちへの丹念な取材に基づいて克明に描くノンフィクション。
『あの日のオルガン 疎開保育園物語』
久保つぎこ(著)
出版社:朝日新聞出版 新装版(2018/7/20)
保育に関わる皆さんにもぜひ観てほしい映画ですので、上映予定をチェックしてみてくださいね。