子どもたちは“カラフル”

保育現場では、発達障害の疑いがある子どもを「グレー」と表現することがあります。これは、自分の中の「ふつう」という概念ができているからだと思います。では、「ふつう」とは何でしょうか。
グレーというのは、白と黒があるから間のグレーが生まれるんですよね。現場の方々は、限りなく黒に近い子どもをグレーと言うことがあります。子どもを白黒で色分けしている。障害がない子は白で、障害がある子は黒。これは、ひとつの人権侵害でもあると、私は思います。発達障害をあまり学ばず、深く考えずに「グレー」だと言っているのかもしれません。でも、子どもたちはそのような大人の前で安心して過ごすことはできへんのではないでしょうか。
もし、「ふつう」を色でたとえるなら、カラフルです。100人の子どもがいたら、100通りの色を持っています。100通りの色を持って、保育園や幼稚園、小学校に来るんですよ。
保育士が「あの子はグレーだから」と他の子どもたちと別扱いしていると、それを見て育つ子どもたちも自然とそうなってしまいますよね。
その通りです。大人たちが「あの子はグレーよね」と思うこと自体が、それを見ている周りの子どもたちを残念な状況にしてしまっているのではないかと、私は思います。そのまま小学校にあがってきますよね。小学校の教育現場って、保育園や幼稚園の子ども同士の関係性がリアルに現れるんですよ。保育園や幼稚園で子どもたちまでもが「〇〇ちゃんは他の子とは違う」という意識を持ってしまうと、それは小学校にあがっても続きます。
その子どもは、「困っている」

※映画『みんなの学校』の一場面
一人ひとりに性格の違いはありますが、「グレー」のほかにも、“暴力的な子”、“大声を出す子”などを「問題児だ」と捉える考え方も多いですよね。
よく言われている“問題児”を通訳すると、「保育士や先生を困らせる子ども」です。でも、それは大人が主語ですよね。子どもを主語に変えたら、子どもは困っているんですよ。困っている子どものことを、大人たちは“問題児”と。何もないのに暴力をふるう子は、世界中に誰一人いないと私は思います。暴力をふるうにも、暴言を吐くにも必ず原因があるのではないでしょうか。先生の言うことを聞かない子を発達障害というレッテルを貼って、排除していく。そうすると、「ふつう」の子が残ると思っていませんか?
さまざまな子どもたちが集まっていて、その中で目立っている子が問題児と言われる。でもその子を排除したらまた次に別の目立つ子を問題児にする…悪循環ですね。
その通りです。先生の言うことを聞かない子、指示通り動かない子を“問題児”や“発達障害”と、保育園や幼稚園の期間にレッテルを貼っているように思います。子どもを主語にして考えてみてください。本当は大人が変わらなあかんことを、子どもに押し付けているのです。当たり前は変えられる

大阪府生まれ。武庫川学院女子短期大学(現武庫川女子大学短期大学部)教育学部保健体育学科卒業。1970年に教員となり各校で教鞭をとる。2006年4月に開校した大阪市立大空小学校初代校長として、「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」ことに情熱を注ぐ。その取り組みを描いたドキュメンタリー映画『みんなの学校』が話題となり、2014年の劇場公開後も各地で自主上映会が開催されている。2015年に教師歴45年をもって退職。現在は講演活動で精力的に全国を飛び回っている。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと(小学館)』『「ふつうの子」なんて、どこにもいない(家の光協会)』など多数。
木村さんの著書『「みんなの学校」が教えてくれこと 学び合いと育ち合いを見届けた3290日』の中で、木村さんの同僚の方の「“この子は無理よね”と学び合いをしない理由や言い訳ばっかり考えている学校もある」という言葉が印象的でした。実際にそのような現実は多いですよね。
自分のやっている保育にその子がはまらないだけです。自分のやっている保育を問い直せばいいんですよ。自分のやっている保育は、「目の前の子どもたちが20年後の社会で、すべての多様な人たちと生きていくための素地を作っているか?」と。“発達障害”や“グレー”と呼ばれる子どもたちがいることで、周りの子どもたちは得しているんですよ。「この子がどうしたら一緒に安心して過ごしていけるやろうか」って考える機会があるんですから。

その子らしさを考えて、「〇〇ちゃんは椅子に座るのが苦手やけど、床に寝とってもみんな一緒におるよ」って言える。そういう周りを育てれば、周りの子はその子と出会ったことですごく得するじゃないですか。
これが自尊感情を高めることと、他者を大事にするということを育てていきますね。
保育の現場の当たり前を問い直さなくてはいけません。椅子に座って話を聞く子どもをつくって小学校に送る、それを当たり前やと思ったらもったいないです。
必ず変われますよ。だって、大空小学校は変われたんですから。
大空小学校を「子どもたちの安心できる場所」へと導いた木村さん。お話しを聞いている中で、考えさせられるものが多くありました。次回は、主体的な子どもを作るための保育士の関わりについての記事をご紹介します。
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【Vol.2】映画『みんなの学校』木村泰子さんに訊く、主体的な子どもを育てる保育者の関わりとは?
学び
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【Vol.3】映画『みんなの学校』木村泰子さんが語る、“当たり前をつくらない”で育つ主体性とは
学び
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【Vol.4】映画『みんなの学校』木村泰子さんが考える、保幼小や地域との連携の重要性
学び
「ふつうの子」なんて、どこにもいない
木村泰子(著)
定価:1,540円(税込)
発行:家の光協会(2019年7月20日)


すべての子供に
居場所がある学校を作りたい。
大空小学校がめざすのは、「不登校ゼロ」。ここでは、特別支援教育の対象となる子も、自分の気持ちをうまくコントロールできない子も、みんな同じ教室で学びます。ふつうの公立小学校ですが、開校から6年間、児童と教職員だけでなく、保護者や地域の人もいっしょになって、誰もが通い続けることができる学校を作りあげてきました。
すぐに教室を飛び出してしまう子も、つい友達に暴力をふるってしまう子も、みんなで見守ります。あるとき、「あの子が行くなら大空には行きたくない」と噂される子が入学しました。「じゃあ、そんな子はどこへ行くの? そんな子が安心して来られるのが地域の学校のはず」と木村泰子校長。やがて彼は、この学び舎で居場所をみつけ、春には卒業式を迎えます。いまでは、他の学校へ通えなくなった子が次々と大空小学校に転校してくるようになりました。
学校が変われば、地域が変わる。
そして、社会が変わっていく。
このとりくみは、支援が必要な児童のためだけのものではありません。経験の浅い先生をベテランの先生たちが見守る。子供たちのどんな状態も、それぞれの個性だと捉える。そのことが、周りの子供たちはもちろん、地域にとっても「自分とは違う隣人」が抱える問題を一人ひとり思いやる力を培っています。
映画は、日々生まれかわるように育っていく子供たちの奇跡の瞬間、ともに歩む教職員や保護者たちの苦悩、戸惑い、よろこび・・・。そのすべてを絶妙な近さから、ありのままに映していきます。
そもそも学びとは何でしょう? そして、あるべき公教育の姿とは? 大空小学校には、そのヒントが溢れています。みなさんも、映画館で「学校参観」してみませんか?
出演:大空小学校のみんな
監督:真鍋俊永