「ぶつからないで歩く子ども」を育てる

大空小学校では、先生たちは「どうしたらいい?」と聞くだけで子どもたちが考え、答えを出していく姿が印象的でした。保育現場でも、保育士が答えを先に出してしまう…という場面もありますよね
例えばけんかのとき、「ごめんね」「いいよ」というやり取り。あれが本当に邪魔やと思います(笑)。「ごめんね」「いいよ」がセリフのように飛び交う。子どもはこれで解決したと思ってしまいます。「ごめんね」と言わせない関わりを作らなくてはいけません。「ごめんね」と言わなくても、相手が安心してくれる自分になろうよ! と。確かにセリフ化していますね…。「子ども主体の保育」が謳われている今、トラブルにぶつかったとき、子どもたちが自分たちで問題を考え、答えを導き出していけるようにしていきたいですよね
そうですね。でも、「子ども主体」と言われているけど、主体的な子どもの姿ってどんな言葉で表しますか? 子ども主体という言葉だけが独り歩きしているように感じます。大空小学校で、こんな面白い話がありました。
大空小学校には、「廊下の右側を歩きましょう」なんていうルールはありません。ある日、大空小学校に入学した女の子は右側を歩いていました。そうすると前方から、左側を歩いてくる6年生の男の子がいました。この子は重度の知的自閉という特性を持っている子でしたね。

そうすると、2人がぶつかる。女の子は「校長先生、このお兄ちゃんが左側を歩くからぶつかりました!」と。私は「ぶつかりそうになったなら、なんで左側を歩かへんかった?」と聞いたんです。そしたら「だってね、左側は歩いたらダメなの!」って。やからお兄ちゃんが悪い、と。
でも私は、「人のせいにしんと、あなたが左側を歩けばぶつからへんかったやろ?」というと、「園長先生がいつも右側を歩きなさいって言っていた」っていうんですよ。
なるほど、子どもをこのようにしてしまった罪は大きいぞ、と(笑)。私たちは、「右側を歩く子ども」を作ったらあかんのですよ。子どもたちに、“大人の正解”をどんどん教えて、じゃあどうしたら主体的な子どもになる? 右側を歩く子どもを作っている、これは主体的な保育ではないですよね。
じゃあどうするかって、とっても簡単。「ぶつからないで歩く子ども」を育てるんです。
大空小学校にはさまざまな子どもがいますが、私がいた9年間、廊下でぶつかってけがをした子どもはひとりもいません。みんながぶつからないように歩くから。
他者がどう歩いてくるかなんてわからない、走ってくるかもしれない。じゃあ自分がぶつからないように歩きましょう。そうすれば、人のせいにしないですよ。
幼児教育の中で、常に正解を守って大人に評価された子どもは、うまくいかないときに人のせいにしてしまいます。人のせいにする子どもをつくるのは、大人です。
正解を教えないのですね
子どもの主体性を育てたいなら、保育士が一切の指示を捨てる! 指示を捨てたら、子どもは自分の意思で動くでしょう。そうすると必ずトラブルがある。トラブルがあったときに、どうしたらこのトラブルが起きなかっただろうとか、どうしたら仲良くできるだろうとか、子ども自身で考えられます。いろんな人が生きている社会、共にすべての人と生きる。そういう大人になるための保育ですよ。主体的な子どもを作ろうとするのであれば、大人が正解を持たないことです。
困ったことがあったときに子どもと子どもをどうつなぐのか。このコーディネート力は、研修に行ってもあまり役に立ちません。
だって、目の前の子どもは全部違うんやから。目の前の子どもに学ぶしかないですよ。
震災で見えた、「当たり前は通用しない」

大阪府生まれ。武庫川学院女子短期大学(現武庫川女子大学短期大学部)教育学部保健体育学科卒業。1970年に教員となり各校で教鞭をとる。2006年4月に開校した大阪市立大空小学校初代校長として、「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」ことに情熱を注ぐ。その取り組みを描いたドキュメンタリー映画『みんなの学校』が話題となり、2014年の劇場公開後も各地で自主上映会が開催されている。2015年に教師歴45年をもって退職。現在は講演活動で精力的に全国を飛び回っている。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと(小学館)』『「ふつうの子」なんて、どこにもいない(家の光協会)』など多数。
大空小学校では、計画的な避難訓練をやめた…というお話を聞きました。避難訓練通りに動けるようにしなくては、という考えだったので、驚きました
すべては目的ですね。災害時の非難の目的は、誰一人命を奪ったらあかん、すべての子どもたちの命を守らなあかんということです。しかし、訓練を日頃していても子どもたちの命を守り切れなかった。これが、日本社会で現実に起きた3.11です。大川小学校では、74人の子どもたちを先生が守ろうと運動場に集めました。そして、避難訓練通りに動いてた結果多くの命が奪われてしまいました。
じゃあ、避難訓練通りしていたらあかんってことではないかと私たちは考えました。いつどこで何が起きるのかわからない、常に想定外ですよね。毎日世の中何が起こるかわからんね、じゃあどうする? と考えていかなあかんと思います。
園や学校というところは、いつも計画的ですよね。指導の計画を立てて計画的に動こうとする、それを私たち大空小学校は捨てました。
計画的を捨てた結果は、いかがでしたか?
避難訓練をやめよう、となった次に大事なことがみんな分からへんかったんですよ。なので、やめようとなった次の日、2時間目くらいに私は急に校内放送を入れて「講堂へ集合!」と言いました。子どもたちはわーっと集まったんですが、その中で先生たちはたったの2、3人でした(笑)。今までの価値観が崩されて、今のはなんだってバタバタでしたね。まさに想定外ですね。そのあと、どうしたんでしょうか
やっと講堂に集まったところを、「津波が来るから4階にあがって!」と(笑)。子どもたちはまたぶわーっと行くでしょ。その中で、1年生の子が転んだんです。それで私は、「ストップ、今1年生の子がこけたよ」と。そこしか言わないんですよね。すると次は、6年生が「1年生先に行ってー!」とやっているんです。でもまた次の課題が。4階に行くには階段が3つあるのですが、はやくあがらなきゃと6年生が一番近い階段をあがっていると、1年生の子が階段の途中で座り込んでいたんですって。
気になったけど、自分も行かなきゃと思って放っておいた。でも、「これが本当の津波だったらあの子はあそこで波にのまれて死んでしまっていた。僕が無理にでも抱いてきたら助かった」と言うんです。経験値の中で、子どもたちは自分の考えを出していくんですよね。
そうすると最後には、一番体力のない1年生は一番近い階段を、体力がある人は遠い階段へ、とかいっぱい考え出していました。
そこでも主体性が見えますね。
意図的・計画的なプランなしに想定外なことをするからですよね。ここで困ったことが出てくるので、これを学びに変えていくのです。大空小学校でのお話しや震災を通して学んだことなど、どれも木村さんが経験をしたからこその説得力がありました。次回最終回は、幼保小の連携や地域との関わりについてのお話しをご紹介します。
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【Vol.1】映画『みんなの学校』の校長先生!木村泰子さんに聞く“ふつう”とは?
学び
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【Vol.2】映画『みんなの学校』木村泰子さんに訊く、主体的な子どもを育てる保育者の関わりとは?
学び
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【Vol.4】映画『みんなの学校』木村泰子さんが考える、保幼小や地域との連携の重要性
学び
「ふつうの子」なんて、どこにもいない
木村泰子(著)
定価:1,540円(税込)
発行:家の光協会(2019年7月20日)


すべての子供に
居場所がある学校を作りたい。
大空小学校がめざすのは、「不登校ゼロ」。ここでは、特別支援教育の対象となる子も、自分の気持ちをうまくコントロールできない子も、みんな同じ教室で学びます。ふつうの公立小学校ですが、開校から6年間、児童と教職員だけでなく、保護者や地域の人もいっしょになって、誰もが通い続けることができる学校を作りあげてきました。
すぐに教室を飛び出してしまう子も、つい友達に暴力をふるってしまう子も、みんなで見守ります。あるとき、「あの子が行くなら大空には行きたくない」と噂される子が入学しました。「じゃあ、そんな子はどこへ行くの? そんな子が安心して来られるのが地域の学校のはず」と木村泰子校長。やがて彼は、この学び舎で居場所をみつけ、春には卒業式を迎えます。いまでは、他の学校へ通えなくなった子が次々と大空小学校に転校してくるようになりました。
学校が変われば、地域が変わる。
そして、社会が変わっていく。
このとりくみは、支援が必要な児童のためだけのものではありません。経験の浅い先生をベテランの先生たちが見守る。子供たちのどんな状態も、それぞれの個性だと捉える。そのことが、周りの子供たちはもちろん、地域にとっても「自分とは違う隣人」が抱える問題を一人ひとり思いやる力を培っています。
映画は、日々生まれかわるように育っていく子供たちの奇跡の瞬間、ともに歩む教職員や保護者たちの苦悩、戸惑い、よろこび・・・。そのすべてを絶妙な近さから、ありのままに映していきます。
そもそも学びとは何でしょう? そして、あるべき公教育の姿とは? 大空小学校には、そのヒントが溢れています。みなさんも、映画館で「学校参観」してみませんか?
出演:大空小学校のみんな
監督:真鍋俊永