先日、ある保育園の研修を行いました。
今後子どもたちと活動する場所で、保育者自身が自然を体験するといった内容でしたが、大いに盛り上がりました。簡単なアクティビティを行ううちに、自然を“見つける眼”になり、夢中になるその姿は、まるで子どものよう…。
「さぁそろそろ終わりにしようかな…」と声を掛けても、すぐには集まりません。
5分以上掛けて集まって来た先生方は、見つけてきたさまざまな自然物や、自分が気に入ったドングリ・木の枝・落ち葉などを両手に持ち、顔が嬉しそうに輝いていました。
私が大人を自然環境に連れ出す時には、シンプルなアクティビティを行います。そのアクティビティの意図は、「自然に目を向け、感じる」ということです。アクティビティを介して、大人が自然を体験し始めることによって、子どものように夢中になっていきます。時には、アクティビティに関係のないものも見つけてきます。
自然物を集めることよりも、穴を掘ることに夢中になることもあります。そして、すぐには遊びを中断できず、集合には時間がかかります。私がアクティビティで意図している結果は、「こちらがさせたいこと」だけではなく、「その枠から出ること」なのです。
子どもたちに「ドングリを拾いに行こうね」と言って公園などに連れて行くと、ドングリではなく、秋まで残っているセミの抜け殻を見つけ出すことに夢中になったり、小さな赤い木の実を見つけて大切そうに握りしめていたりします。保育者がさせたいことだけではなく、他の物も嬉しそうに見つけてきます。そして、それは自然な姿なのです。
子どもは、自然環境の中に連れて行けば、大人に促されなくてもすぐに自然物を見つけてきます。なので、アクティビティのように順序立てて “やること”を決めない方が、子どもの発見や自由な発想が発揮されます。
世の中に出ている「アクティビティ」や「野あそび」などの自然の中で遊ぶ手法の本は、子ども心を忘れていない人たちの手で書かれていると感じることがあります。
アクティビティで私がよく活用しているのは、シェアリングネイチャー協会の「ネイチャーゲーム」です。
私が「ネイチャーゲーム」と出会ったのは、保育士5〜6年目くらいの時でした。創始者のジョセフ・B・コーネルさんが書いた「ネイチャーゲーム」という本だったと思いますが、その中に書いてあったゲームの一つに思わず吹き出しました。
それは、「木の枝を持って、じっと小鳥が来るのを待つ」というゲームでした。なぜ吹き出したかというと、私もやったことがあったからでした。「これがゲームになるんだ!」と思ったことを今でも鮮明に覚えています。
自然体験の心地よさ、面白さを知ると、人はより自然に溶け込みたくなるものです。
ある時、山で岩の上に座って休んでいる私に気付かず、リスがチョロチョロと木から降りてきたことがありました。しばらく、リスに気付かれないように息を殺していました。その時、自分は木になって、リスをそっと見守っているような気持ちになりました。
子どもは自然の中に溶け込むような体験が自然にできます。
そして大人は、アクティビティを行うことで、子ども心を取り戻すのです。
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