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将来の担い手を地元から育てるには【みんなで作るカノア保育園・その12】

カノア保育園の先生とこどもたち

 

2000年、ブラジル北東部にある人口300人の小さな漁村“カノア・ケブラーダ”に保育園を作った鈴木真由美さんのストーリーの12回目。今回は、将来のカノア保育園の担い手を地元から育てていきたいとうお話です。
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保育園は村の人の手で運営を

保育園を開園すると決めた時、エヴァさんと私の間でいつも話していたことがありました。

「私もあなたも、いつまでもこの村にいるとは限らないのだから、保育園をつくるのならば、村の人たちが参加して、運営していくことができるようにしなくてはいけない」

そのためには、村の人たちの中から、私たちの助手として働いてもらいながら、将来的には先生として独り立ちすることができるような人を育てていく必要がありました。その時に私たちが考えたのが、「高校を卒業もしくは同等の学習レベルがあること」という条件でした。

保育園設立当初の2000年。当時のブラジルは、小学校の教員になっている人のほとんどが、高校の教育コースを卒業した人でした。今では法律が変わり、大学の学士の資格を持っていないと幼稚園(保育園)や小学校の教員にはなることはできません。ただし、日本のような教員資格というものはないので、小学校の先生になるには、教育学部を卒業すればその資格を得ることができます。




候補者に声をかけてみる

さて、カノア保育園のあるエステーヴァン村には、高校を卒業している人、もしくはそれと同等の学習レベルにある人はたった5人しかいませんでした。その中の一人、エリアーナは、高校を卒業したばかりで、子どもの世話が大好きな人でした。

彼女は祖父母に育てられたのですが、既に祖父は亡くなっており、祖母と、血のつながりのない兄、父親違いの弟と妹との5人暮らしでした。彼女は家の中の全てのことを担っていて、とてもしっかりした性格でした。その一方、とても穏やかな性格でもありました。あるとき私たちは彼女の家を訪ね、「一緒に働いてみないか」と誘ってみたのです。それは、エリアーナの祖母からのお願いでもありました。

エリアーナの祖母はアナーリアさんといい、村の祈祷師でした。医療が発達していなかったこの村において、薬草を使った彼女の治療は、村人にとっては欠かせないものでした。私も熱が出たり、風邪をひいてしまったりしたときには、彼女の煎じてくれたお茶を飲んだものです。そんなアナーリアさんは、私たちが保育園を作るということを知ったとき、エリアーナが適任ではないかと話してくれていたのです。
 
カノア保育園の先生とこども

エリアーナの選択

こうしてエリアーナは、私たちと一緒に働き始めました。彼女はとても慎重な性格で、動作がゆったりとしており、私とはまるで正反対でした。そのため、学ぶことも多くありました。子どもたちに話しかけるその姿は、温かく子どもを包み込んでいるようで、保育園で働く先生として重要な素質を備えていると感じました。

エリアーナは14年の間私たちと共に働き、その後、アラカチ市の公立小学校にできた幼児クラスの担任として働くことになりました。カノア保育園の将来を担ってほしいと考えながらも、彼女たちがよりよい人生を選択できるようにしていきたいという思いも強くあった私たちなのでした。

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